メブコの独白

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吾妻香夜先生「親愛なるジーンへ」感想。若者が「自分は何者かになれると自惚れること」は”罪”なのか。

今回は、吾妻香夜先生の漫画「親愛なるジーンへ」について語っていきます。

 

タイトルにもある通り、

「自分は何者かになれると信じ、自惚れる若者は”罪”なのか」というテーマでお話していきます。

未読の方も既読の方も楽しんでいただけると嬉しいです。

 

 

簡単なあらすじ

ニューヨークに住む叔父・トレヴァーを訪ねた少年・ジーンは、書斎にて叔父の「手記」を発見します。

そこには、叔父であるトレヴァーが自分ではない別の「ジーン」と過ごした日々について綴られていたのでした。

本作は、手記によって語られる”トレヴァーがアーミッシュの青年「ジーン」と過ごした過去”と、

甥のジーンが主となって語られる”現在”を交互に行き来しながら物語が進んでいきます。

 

アーミッシュってなに?

この作品を読むうえでは、アーミッシュと呼ばれる人々について知る必要があります。

アメリカ・ペンシルバニア州東部のダッチ・カントリーに住んでおり、ドイツから移住してきた当時のような生活を現在も継続している人々です。

 

その生活というのが非常に興味深いのです。

例としては、

  • 聖書以外を読んではいけない
  • 賛美歌以外の音楽を聴いてはいけない
  • 怒ってはいけない
  • 自動車ではなく、馬車で移動する

などの規則が挙げられます。他にもたくさんあります。

 

そして、最も印象深いのが「ラムスプリンガ」でしょう。

アーミッシュの子供達は14歳〜16歳くらいになると、一度故郷を離れて俗世での生活を経験する期間を与えられます。この期間をラムスプリンガと呼ぶのです。

ラムスプリンガを終えると、子供たちはある選択を迫られるのです。

 

それは、

故郷に戻ってアーミッシュとして一生を過ごすか。

一生涯故郷には戻らず家族とも絶縁し、俗世で暮らすか。

という選択です。

 

この決断が、ジーンというキャラクターを語る上で非常に重要になってくるのです。

 

アーミッシュ、そしてラムスプリンガについては吾妻先生の前作「ラムスプリンガの情景」を読むと理解しやすいと思います。

ラムスプリンガの情景 (ショコラコミックス)

 

実はあの有名な人物もアーミッシュなのです

みなさん、ステラおばさんをご存じですか?

「ステラおばさんのクッキー」の方です。

実はステラおばさんは実在する人物であり、アーミッシュなのですよ。

 

筆者はステラおばさんのクッキーが大好きで頻繁に購入するのですが、

つい最近まで知りませんでした...

 

↓詳しくはステラおばさんのクッキーのホームページに書かれていますよ。

アーミッシュについても記載されているので、気になる方はどうぞ。

ステラおばさんについて | 株式会社アントステラ (auntstella.co.jp)

 

 

「自分が何者かになれると思い、自惚れる若者」は”罪”なのか

ジーンの決断

アーミッシュであるジーンはラムスプリンガの後、俗世で生きることを選びます。

ジーンがこの決断をした理由は、

自分にだって何か特別な才能や未来があるのではないか。

何者かになれるのではないか、何かを成し遂げられるのではないか。

でもこのまま故郷にいたら、自分の可能性に気が付かないまま一生を終えるのではないか。

という自分への根拠のない期待と自惚れがあったからです。

 

同時期にラムスプリンガを終えたジーンの友人たちは、皆アーミッシュに戻る決断をします。

自分の将来への希望家族・友人と暮らす約束された幸せを天秤にかけ、

より現実的な選択をしたのです。

 

故郷を離れたジーンは、厳しい現実を知ることになります。

ジーンは手に職もなく、家も借りられずにアパートのボイラー室暮らし、いつもみすぼらしいみなりをしています。

この世の中において、自分は平凡、あるいはそれ以下であると感じたでしょう。

 

ジーンは自分がいかに自惚れていたかを知り、

置いてきた家族や友人を思い出しては、どこかで自分の決断を後悔しています。

故郷を思う気持ちは、ジーンに時折暗い影を落とすのです。

 

前作「ラムスプリンガの情景」との違い【前作のネタバレあり】

この項目では、「親愛なるジーンへ」の前作である「ラムスプリンガの情景」のクライマックスについて触れています。ネタバレNGの方は、読み飛ばしてください。

 

 

本作のジーンは、明確な夢があったわけでもなく、自分の将来に期待できるほどの経歴や取り柄もないのにも関わらず、

曖昧な希望と根拠のない自信のために故郷を離れることを選びました。

 

しかし、前作「ラムスプリンガの情景」の主人公であるテオは違います。

「大切な人ができたから、その人と一緒にいたい」という明確な目的があって

俗世で生きることを選ぶのです。

 

2人ともアーミッシュで、どちらも結果的には同じ決断をしているのですが、

そこに至るまでの過程が全く違うんですよね。

 

ジーンだけじゃない。若者は夢をみる生き物なのだ。

私は本作を読んだとき、

「ジーンってなんだか私みたいだ」という感想を抱きました。

 

今だって、なんの実績もないくせに

誰かが面白いと思ってくれるかも...なんて、

ちょっと期待しながらこの記事を書いているわけですし笑

 

きっと誰しも、

「自分は何か特別な才能があるのではないか」と思う時期があると思います。

世の中はそんなに甘くない、自分はありふれた人間のうちの一人だと感じた時、

私たちは大人というものにになるのかもしれません。

 

 

「親愛なるジーンへ」が私たちにくれるメッセージ

ジーンという青年はアーミッシュであったために、若き日にとても大きな決断を迫られることになりました。

そんなジーンもトレヴァーと過ごす日々を通して、

最終的には若き日の自分を許し、認めることができるようになります。

 

若者は誰しも夢を見て良いのだ。

何者かになれると自惚れることも”罪”ではない。

 

もし打ち砕かれて、そんな自分を恥じることがあっても

いつかは過去の自分を許し、自分という人間の素質を認めることができるようになるのだと。

 

筆者はそんなメッセージを貰ったような気がします。

 

ちなみに、購入するなら圧倒的に特装版をオススメします。

本編のその後のお話が収録されているので!!